危機的状況、まずは心の緊張を解き放て [地震・災害・疫病 など]
打ち込んでは消して、
消しては打ち込んでを繰り返している。
被災を実害として経験することなく生きている事に複雑な思いがある。
申し訳無さは勿論、非力な事も、
被災がどんなものなのか?
全てを失うことがどれ程の心理的追い詰めになるのか?
正直、計り知れない事もあり、
表現に限界があるが、
一つだけ言わせて頂くなら、
毎日、不幸の思い起こし&不安要素の積み重ねでは、
被災で傷ついた心を癒す処か、追い打ちを掛ける事になる、
とは言え、
何も無かった様な言動では、不謹慎・・・と言うよりも、
気持ちにさえ寄り添っていないと思われかねない。
加減なるものの塩梅を探すのも大変だろう。
何が言いたいか、と言うと、
毎日、不幸な言葉の連呼では、ドンドン滅入って行くので、
サポートする側に居る 私を含めた 多くは、
前を向く切っ掛けや踏み出す気持ちにさせる物事を提供した方が良い、と。
・
個人的な経験、とは言え、全てを失った事が無いけど、
全てを失いそうになった経験は、幾度となく経験しているので、
一つ言えるのは、
「今の不幸を忘れる瞬間を作る」って事。
「あれ、今どんな状況だった?」
「あれ、震災・不幸から思考が外れていた」
そんな、まぁ、気晴らしと言うのか?
「無意識で気持ちが切り替わっていた!」
そう言う環境つくりが必要だと思う。
・
言葉で表現するのが難しい上、
対象の
心理的な受け入れも考えなければ成らないから、
簡単な事ではないが、必要だと思う。
長く成りそうなので、ここいらで打ち切るが、
失ったものへの思いを断ち切る必要も、
無理に忘れる必要も無いが、
四六時中、思い悩んでいては、前を向けないし、
壊れた気持ちも修復できないもの。
息抜き、気晴らし、
ある意味
真面目過ぎる気持ちから合法的に外れる、
それが出来れば、
気持ちを病まずに済むだろう。
・
生き残ってしまったという罪悪感は、持たずともよい。
どうしてもその呪縛から逃れられないなら、
生き残っている意義を作って、ライフワークにすればいい。
生きてしまっている以上、
ある意味仕方がないのだから。
笑えない→(笑)
助言まで。